時間をかけて作る料理の旨さ
以前もどこかで書いたが、ネガコースティカの目指す音楽がとりあえず聞けるようになるまで3年はかかった。
かなり長かった!
全員専業ミュージシャンでは無いが、それでも毎週のリハに極めて真面目に取り組んでいた。何度も何度も繰り返し演奏し、それでもしっくり来なければまた繰り返す。ある意味で愚直とも言えるやり方。川崎さん、坂野さん、僕の3人はこうして少しずつアレンジを手直し、自分のポジションに馴れていき、お互いの出す音に自分のサウンドなじませていった。
新しいものを作りだすことは時としてとても時間を必要とする。僕らは○○風のものを目指すと言うところがなかったから、自分たちが「これだ!」と感じられる音が出てくるまで、施行錯誤するのみ。
材料はある。どんな料理を作りたいのか自分で考えろ。
アンサンブルをまとめるのに時間がかかった理由はもう一つある。持続音タイプの音がなかったことだ。
我々の楽曲の元ネタであるネガスフィアではサステインのかかったエレキギターのロングトーンや、シンセサイザーの全音符が多々あるが、ピアノ、アコベ、クラシックギターでそれをやるには無理がある。なので必然的にリズムの刻み方が変わってくるし、施すアレンジや、楽曲の聞かせ方自体が原曲とは大いに異なるものになってくる。
その最適解レシピを探し出すのに手間暇をかけたと言えるだろう。もちろんそこにこそ自分たちのオリジナリティーが生まれるのだからそれで正解なのだ。その考えが揺らぐことはなかった。
こうして基本アンサンブルがカタチになってきた頃に、チェリスト星衛さんが加入。ネガコースティカに待望のロングトーンが加わった。星さんの巧みなバッキングセンスとソリストとしての強烈な個性は、ロックバンドで言うところのギタリストのようなもので、くっきりとした表情を浮き立たせ、サウンドにエモーショナルなピークを表現できるようになった。カタチになってきた基盤の上に舞う、カラフルな色彩感。
オリジナリティーの高いものを作るために何をしなくてはならないんだろう?
僕らにはネガスフィアの優れた楽曲作品群があって、それを純正に忠実にカヴァーすると言う道を選ばず、アコースティック楽器による再構築という道を選んだ。
僕自身はハンガリーのコリンダや、カナダのロリーナ・マッケニットのような、民族フレーバー濃厚な弦楽基調のアンサンブルをやってみたいと言う思いがあり、でもそれをまんまカヴァーするより、自分たちにより近い音楽でそれを実現してみたいと言う思いが生じていた。僕のこの思いにネガスフィアの川崎薫さんが応じてくれたことがネガコースティカの始まりとなる。
ある日、高橋克典さんが打楽器奏者として、名乗りを上げてくれた。彼はminoke?やACB(K)や僕のもう一つのリーダーバンドであるKIATで活動する素晴らしいドラム奏者。その彼がダフやレックなど中近東の打楽器を始めたので、ネガコで叩きたい!と言ってくれたのだ。彼ほどのセンスを持つリズムの達人が加わってくれたことで、安定感と推進力はもちろん、空間的なスケール感が数倍に広がった。打楽器なしに度重なるリズムチェンジや変拍子をこなすことに少しばかり息苦しさを感じていた僕は、ようやくほっとしたと言うのが本音である。
こうして今のネガコースティカ5人のメンバーが揃った。
80年代初頭にネガスフィアのメンバーとして一年間在籍した坂野さんは、それから30年以上の時間を経て、ネガコースティカでアコースティックベースを弾いている。川崎さんと僕がこのバンドを始めると決めた時、すぐにベーシストとして名乗りをあげてくれた坂野さん。まさに我々の音楽の基盤をともに開発し、支えている。実務面でも僕より格段にしっかりしているので、大変頼りがいがある。
僕らがスタートしたのは2013年だから、来年で10周年記念となるわけだ。10年も同じメンバーで続けることができるのなら、それは何物にも崩すことができない信頼感で僕らが結ばれていると言うことの証だと思う。
そして僕らをサポートしてくれる頼りになる人々…桐田仁さん、中田泰三さん。撮影や録音エンジニアリングでどれだけお世話になっていることか。こうした人々の力が結集して、ネガコースティカの1st.アルバムSAKUHOをリリースすることができた。
例えて言うなら我々の音楽は手の込んだ煮込み料理。時間をかければかけるほど味わいが増してくる。
今回の2年越しのレコ発ライブは、最近僕がよくライブをさせていただいている碑文谷のアピア40で行われる。
ネガコースティカのサウンドをライブハウスで鳴らす事はとても難しい。でもアピア40ならできると確信している。
今週末の日曜日1月16日午後1時、その時がやってくる。
さぁ、召し上がれ💙
0コメント