イシュタルの豊穣にも似て。
おおよそ3ヶ月間で、
3枚のアルバムの仕上げに携わった。
1枚目はKIAT、2枚目はNegAcoustika、
そして3枚目はTEAM電波。
すごい3か月だった。
ようやっと自分にお疲れ様を言えるぞー💦
なにか同じハナシばかりしている?
今日で最後にするから聞いてください(笑)
大変だった、とはいえ、楽しんだ。
やれることは全部やって、
あとは実りの収穫を待つのみ。
もうすぐ豊穣の女神がやってくる…
収穫を携えて。
(撮影:川崎薫さん)
今ってCDが売れない時代。
じゃ、なんでCDを作るのか?
若い世代はまず買わない。
みんなサブスクで聴いている。
それではCDなんか意味ない、と?
そんなことはないよ。
CDに作品としての世界観を感じ、
ヴィジュアルや言葉までを含めて、
まるごと味わいたい人がいる。
たしかに44.1khz.16bitという
CDの記録フォーマットは
いささか時代遅れな気もするが、
それはそれでこの先もLPのように
細く長く残っていくような気がする。
だからこそジャケットアートには、
世界観という点でこだわりたい。
長野県佐久穂町で、
縄文中期に作られたこの石のモニュメント
「北沢大石棒」をジャケットの
メインモチーフとして撮影した。
農地のど真ん中に屹立している
4000数百年前のアート作品に
この手で触れられることに、
とても感動した。
自分は今、縄文時代と直接コンタクト
しているという不思議な実感を味わった。
もしこれが国立博物館にあるとしよう。
ガラスケースに入っている。
するともう触れることはできない。
これを人と文化の関わり方として
考えてみれば明らかになることがある。
国民の宝、としながらも、
所有管理しているのは国家。
もし誰かが触ろうとすれば、
国に雇われた警備員がすぐさま制止する。
国民が触れない国民の宝。
この矛盾はどこまでも矛盾のまま。
そういうものだから仕方がない、とするなら
それは思考停止に他ならない。
なぜなら大英博物館に陳列されている
紀元前のギリシャの彫刻には。
このように触れることができるのだ。
触っても汚したり、
傷つける者は殆どいない。
なぜにこの展示スタイルなのか?
確かなことはそこに
「人と文化の関わり方への考え」が
現れていることである。
それはその国の人々の
思索の中身でもある。
「人と文化の関わり方への考え」を止めず、
いつも最良の関わり方を模索するなかで、
このような展示が為されている、と
考えるべきだろう。
国立博物館レベルの展示で、
なんとなくやっているものはないのだから。
日本の美術展や博物館の展示に、
しばしば欠けているのは
こうした意識ではないだろうか。
一方、農地のど真ん中に
ナマナマしく屹立する縄文ファロスは
ひとつの理想的な展示と言えまいか?
閑話休題、そもそも今回の
アルバムジャケットには、
「石」の質感がピッタリくる、
と僕はイメージしていた。
メリアホールでの1発録りによる音の質感は、
アコースティック楽器の柔らかな響に、
どこか硬質な、芯のある残響を与えている。
実際にはこのホールは
石よりも木の部分が多いが、
サウンド的に「石」だと僕には感じられる。
だから佐久穂町メリアホール須田館長に
最高に佐久穂らしいものは?、と尋ねて
即座に返ってきた答が
この「北沢大石棒」だったときは
まさに千載一遇だと思った。
今回は晴天に恵まれて、
理想的なショットが撮れた。
さて、豊穣を祈る古代人の心性が宿る
石のファロスが男性側の象徴なら、
対をなす女性側の象徴はなにがよいか?
そこでイシュタルのレリーフを配置した。
メソポタミア神話に登場する豊穣の女神。
知り得る全ての古代の女神のなかで、
もっともセンシュアルなもののひとつ。
完パケ完成。
デザインもうすぐ完成。
タイトルは決まった…
はやく発表したくて、ウズウズしています。
レコ発は7月になります。
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