身体の使い方とライブの意義
9月5日、神田小川町WondstockCafeで、
ネイキッド・ネガコにてライブをする。
初めての場所となるがハコの音場がよく、
阿部マスターの気さくなお人柄に
気持ちもほぐれて、
集中力のある演奏ができた。
結果自分としては、
開眼するものがあった。
ギターと歌の両方を担当する僕にとって
ネガコのライブ演奏は常に綱渡りスレスレ。
まったく息が抜けない。
これがどちらか片方に専念できれば、
しくじらないだろうし、
もっともっと上手くできるハズなどと
思う一方で、
両方を同時にこなすのが
きわめて難しいからやり続けられるのであり
いろいろな課題に恵まれることになる。
そこに次へのヒントがある。
そう思う。
正直言って、自分は大分上手くなったが、
演奏者としては至らない部分が多く
下手の類いだと痛感する。
なので改善すべき点を具体的に見出し、
克服したいと思う。
音楽には感性次第で如何様にもなる部分と、
技術と知識が無ければどうにもならない、
部分がある。
とくに技術は身体と深く結びつき、
身体は使い方次第で、
別もののチカラを発揮する。
上手い演奏者の身体は
デフォルトで力みがない。
手のサイズがひときわ小さい自分は、
無理なことをやっていると必ず「痛み」と
いうカタチでしわ寄せがくる。
それでもその音を出したければ、
無理をしないで出せるように、
フォームを改善しなければならない。
これはほんの一例だが、
身体の使い方の重要性を裏づける。
9月5日はそんな自分の考え方を反映し、
改善したフォームでのプレイを行なった。
結果的に自分としては
ギター演奏に無理がなくなり、
歌のコントロールマージンを稼げた。
ただし、そちらに入れこみすぎて、
相方の坂野さんには少々「ハズし気味」と
指摘されてしまった。
この辺のバランスを
もう少し磨きたいところである。
現在の東京でのライブに
多数のお客さんを期待することはできないが
それでもこの日は、
熱心な耳の持ち主のみなさんが
集まってくださり、
僕らの演奏に最後まで聴きいってくれた。
フロントアクトで参加してくださった
かおるねさんは芯のあるリズムと
ハートのある歌でみなを惹きつけた。
ライブはやはりリアルがあってこそだ。
リアルだからこそ人の気が交わり、
音楽がその場を紡ぎあげてゆく。
偽物だらけの情報で仕立てあげられた
コロナ騒動の最中、
その意義をより一層強く意識する。
誤解を恐れず、ハッキリと記しておきたい。
写真と動画:桐田仁
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