ギタートリロジー
当たり前の話で恐縮だが、
楽器とは音楽を演奏するための道具である。世界中の国々、あらゆる民族、
人々にとって、音楽のない生活は退屈、
もしくは耐え難いものであり、
一家に一個くらいは必ず楽器がある。
たとえあまり演奏をしなくても、
それはあるだけで心を豊かにする。
音楽文化の貧しい場所と豊かな場所、
どちらに行きたいか、と訊かれれば
ほとんどの人が音楽の豊かな場所を
選ぶのは、火を見るより明らかである
と思われる。
昔、プロ・ギタリスト笹子重治さんと
ご一緒する機会があり、
笹子さんのガットギターの生の音量が
あまりにも大きいので、
これはどこで手に入れたのか、と尋ねた。
「ロンドンのとある楽器屋で、この店で一番生音のでかいギターをくれ、と言ったんだ」
笹子さんは店の主人が持ってくるギターを
片っ端から弾いてみて、
一番生音のでかいギターを購入した。
それがこのギターなのであった。
ブラジル音楽をメインに、
様々な打楽器や生楽器と共演することが
多い笹子さんにとって
音量の小さなギターでは、
どうにもならないわけなのだ。
ピアノにだって負けるわけにはいかない。
リハーサル、コンサートホール、
サロンコンサート。
もちろんマイクを使うことだってある。
しかし、元の音が大きければ、
マイクやスピーカーでのプラス分を
大幅に減らすことができる。
笹子さんにとっては
自分のギターの音そのものを
聴かせたいのだから、
元の音が聞こえることが一番大事なのだ。
このような楽器選びは、完全に「目的指向」と言えるだろう。では自分はどうか。
最近になって気がついたのだが
僕の楽器選びは年齢とともに目的指向に
なってきている。
今メインで使っているギター3本中、
2本には僕の趣味性みたいなものは
ほとんどない。
中央の、アランフェスのナイロンクラシックギターは音量が大きく、手の小さな僕でも弾きやすいから選んだ。
ゴダンのマルチアックナイロンSAはエレクトリックバンドでも使え、ギターシンセサイザーとして音源コントロールのため購入した。ご覧のとおりコントローラーが多い。
唯一、ギブソンのチェットアトキンス・スタジオCECだけはその美しいスタイルと弾いている時の気持ち良さに魅了されて手に入れた。
つまり最後のギターだけが
僕の趣味性の反映なのだ。
どうも自分はコレクターとしての
資質と執念が希薄で、使わない楽器を持つということがほとんどできない。
弾いていないと妙に目障りになってきて、
すぐに追い出してしまう。
別の事情があり保管しているエレキが
2本あるけど(1本は父親が僕の高校入学祝いに買ってくれたもの。もう1本はいずれエレキに返り咲こうと思っているので)
今まで弾かなくなって売り払ったギターは
数知れない。
今後、ギターが欲しくなることは?
…多分あまりないような気がする。
目的に合わせてどんどん弾き倒すこと。
これからの人生、そっちの方が新しいものを買ったり、本数を増やすより
自分には必要なことに思えるから。
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