ハミル師(5)

これから音楽活動をして行く、という決意を胸に抱いて1984年の春に帰国したというのに、なんと僕はひょんなことから就職してしまいました。二足のわらじを履こう、と考えてのことでしたが。
1986年、まさかのハミル師初来日。しかしちょうどその頃、ゲームプロデュース職多忙の渦中にいたせいか、その渋谷ライブ・インでの師のライブのことを、僕は全く思い出せないのです。行かなかったはずはないのに。やはり忙しいは心を亡くしますね。つづく1988年が師の2度目の来日。有楽町・読売ホールで師の演奏と向かい合ったことは、アンコールをアカペラで絶唱したことと共に、ハッキリと記憶に刻まれています。

一方、二足のわらじで続けていた自分の20代の音楽活動は、試行錯誤の日々でした。ハミル師に高評価をいただいたOmnienaは活動再開に至らず、つづくバンドも暗礁に乗り上げて、なんの結果も出せない毎日をおくるうちに、僕はバンド活動に諦めを感じるようになっていきました。そんな失意のなか、1991年に取材で訪れたアリゾナ州のネイティブアメリカンのある村での出会いと出来事が、僕にもう一度音楽に立ち戻るキッカケを与えてくれたのですが、これはまた別の機会で語ることにします。

さて、ハミル師にようやく再会できたのは、東京・お台場にあった伝説のライブレストランTLG(Tribute to the Love Generation)でのライブで、なんと前回の来日から12年ぶりもの時が経過した2000年のことでした。髪はすっかり白くなっていましたが、チカラ漲る声、質感に溢れる言葉は、まさにピーター・ハミルの世界そのもの。毎年、新作をリリースし、12年間ひとときも休むことなく活動してきた重みを、ズシリと受け取らざるを得ませんでした。そして終演後のサイン会でついに言葉を交わすことに。

ハミル師はこの頃から毎年あるいは2年に一度くらいのペースで来日するようになります。そして僕は、長らくしまっておいたあの師からの手紙を本人にお見せしたい、と思いはじめました。

その機会がやってきます。


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