代官山の坂を上って、東京キッチンを聴きながら
気づいてみたら、7月は一度も
ブログを書いていなかった。
前回から一月、それなりに
忙しかったんだろう。
6月後半はネガコDuo@Prog Nagoyaがあり、
7月前半はチーム電波@シットロトがあった。
こんなコロナ騒ぎのご時世に
ライブができるなんて、
自分はとても幸せだと思う。
代官山を歩くのは久しぶり。
90年代初期から21世紀のはじめ頃まで、
代官山の山の上のとあるアパートの1室が、
僕の勤め先だった。
Thinkという名の広告プロダクション。
そこでコピーライターとして働きつつ、
音楽をやっていた。
住まいは吉祥寺だったけど、
今の中野に1996年に引越した。
そこでバンド「東京キッチン」を結成。
ナイチ、赤塚聡明、みやざきみえこを
メンバーにライブを重ねていった。
✳︎このアパートの102号室がThinkだった。
この3人との出音はあまりに素晴らしく、
僕はアコースティックな音楽に目覚めた。
とはいえバンド運営は難しく、
メンバーは流動的で、
何人もの凄い演奏家が
入れ替わり立ち替わり出入りした。
そんな状況のなかで制作したのが、
このアルバム「東京キッチン」だった。
僕のあまりに「青い」うたを聴くのが嫌で、
殆ど聴いていなかった。
しかし、最近、このアルバムの
録音とミックスを担当した板谷さんから
「カラオケが見つかった」と送られて
きたものを聴いて、びっくり。
余りにもよいのである。
そう、歌が無ければ、すばらしいのだ。
そこで僕は決めた。
「歌」だけ再レコーディングすることを。
そして今日、代官山を歩いてみる。
あの頃、自分は
この町を歩き回りながら、
ほとんどの曲を作った。
だから歌詞を歌ってみると、
いろんな風景、出来事、そして自分の願望が
次々と思いだされてくる。
今の代官山の町には、
あの頃と大きく変わった部分と
なにも変わっていない部分がある。
建物は1/3くらい変わったかも知れない。
店は殆ど変わってしまった?
なんといったって
Thinkの前にはあのタルトの
キルフェボン代官山店があった。
ほんとによく食べたもの。
それもとっくにない。
でも、やはり変わらないものがある。
ひとつには細い路地から見上げる空。
そして代官山に登る坂道。
午後の坂を登る、振り返ればトーキョー
コンクリートの森が、死さえ覆い隠す
影が伸びてゆく、朱に染まるガラス窓
そして夜はトーキョーへ
孤独を歌うため
(トーキョー正午/東京キッチンより)
自分については?
音楽的には大いに進歩した。
歌もまあなんとか…
社会性は?すこし進歩したかな。
考えていることは…相変わらずだね(^^)
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