創る、ということ(呟き)
これから独り言を言う。
もちろんブログだから、
誰かがこれを読んでくれるはず。
でも今回はわかるように書くつもりはない。
思うように書いてみたい。
これは自分のためのつぶやきだ。
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とりとめない広がりの一点に、
なにかが生まれた。
音楽を作りはじめる。
作曲したり、詩を書いたり、
アレンジをしたり、演奏したりして、
それですぐに思うようなものは、
まずできない。
だからその先に行こうとする。
思ってもみなかったような音に
なっていたり、
その音を聞いてみると
なんだかよくわからなかったり
演奏してみて後ですっきりしなかったり、
そんなことの繰り返しがあって、
もっと上手くなりたいと思い、
もっとはっきりとした形にしたいと思い、
自分の中にあるイメージをより具体化させ、
よりはっきりとした形の音にしていく。
100を目指してやってみたものの
最初は40くらいにしかならず
イメージからかけ離れている。
何が足りないのか、何がおかしいのか。
そうしたことを演奏して、歌ってみて、
録音して聴き直してみて、
手を加えて歌い方を直して、
そんなことを何度も何度も何度も何度も
繰り返していくうちに、
ある時「うん、これは悪くないね」と
言うものがようやく出来上がる。
追求するといつか答えに出会える。
すぐには得られない。
だからこその追求、なんだ。
自分は音痴ではないようだけど、
さりとて歌がうまいわけでもない。
天才的な歌い手ってほんとにいるものだ。
そういう人と比較すれば僕など
取るに足らない歌い手だと思う。
僕が歌い続けているのは
いろいろなイメージが、
言いたいことが浮かんでくるから。
ときどきメロディと詩が同時にやってくる。
そしてそのイメージをこういう形にしたい、
どんなカタチで歌おうか、と
そんなことを考えてるうちに曲ができ、
世界がカタチを成していく。
だから、あの人のようにやりたいとか
このバンドのような音楽を演奏したいと、
思うことはほとんどない。
もちろん大好きな音楽、
尊敬するミュージシャン、
心から愛する歌い手、
そういった人たちはたくさんいる。
影響をたくさん受けてきた。
でも一方で自分の声は自分だけのもの。
好きとか嫌いとか関係なく
自分にはそれしかないんだよ。
だから誰かのようにやりたいと思っても、
できっこない。ここが重要。
声には完璧な代用はないんだ。
もしそうした努力をするとしたら、
それは人生の無駄遣いだと思う。
そうしたことに時間を使う気持ちには
到底なれないのは、自分の性。
かつてそれはわけのわからない衝動だった。
でも今この歳になって
創造のチカラとはそういうカタチで
現れるとわかるようになった。
一種の化け物みたいなもんだ。
ネガコースティカは自分が初めて関わる
自分の非オリジナル楽曲を扱うバンド。
このバンドをもう5年も続けている。
なんでこんな長いこと続けていることが
できるんだろう?
曲が面白いから?複雑だから?
物語があるから?シンフォだから?
それとも気持ちいいから?
…多分その全部なんだと思う。
実を言うと自分は小6ぐらいまでは
ほとんど衝動で生きている子供だった。
もし自分が今の小学生だったら
間違いなく多動症や発達障害と
言われてしまったと断言できる。
でもあの当時僕の担任だった先生は
そんな僕を面白がってほとんど放置した。
僕には放置がぴったりなのだ。
人に干渉されることが大嫌い。
そうした性格は中学生になって
さらに強まっていった。
そしてへそまがりな大人になった。
ロックに興味なくして久しい。
1986年には完全に失せた。
そんな自分がネガコースティカを
続けていられる理由は
へそまがりな自分にぴったりだからだろう。
プログレという一筋縄でいかない音楽を、
アコースティックでやるのは
さらに一筋縄ではいかない。
ものすごく難しい。
イメージに近づくのが困難。
お手本がないし。
でも、それだから面白い。
もし、仮にこれをエレクトリックで
やっていたら、すぐにカタチになって
とうにやめていたかもしれない。
行くなら遠いところに行きたい。
ライブばかりしていたら、
作品がないことに気づいた。
そろそろアルバムや音源と言う形で
僕らの音楽を作品に定着させていきたい。
そう思うようになってきた。
音楽は架け橋。
こっちとあっちを結ぶ。
人と人を結びつける。
つい最近、小さなことにこだわって、
それを拒否する人と会話した…
仕方がない。
人それぞれ、と言われればそれまで。
でも、いつか変わるかもしれない。
音楽があるところ、
そのチャンスはあり続ける。
僕は待つ。
生きていれば、変わる可能性はある。
生きるって、変わることでもある。
今自分たちのやってきた音楽が
具体的になってきたのだから。
ようやく作品というカタチにするのに
ふさわしい時期を迎えたことを知る。
そろそろやらなくちゃね。
2020年は豊穣の年になりそうです。
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