フレディに触れる。
▶︎ボヘミアン・ラプソディーが
できたのは、こういう経緯なんですね。
好きな曲が作られたルーツを知るのは
とてもおもしろい。
それが自分にとって特別な思いが絡むなら、
なおさら。
やりたいことをやるためには、金がいる。
プロデューサーは投資家でもあるから、
味方につけなくちゃならない!
しかしバンドはやりたいことを優先した…
デビュー時にはハードロックバンドと
言われながら「キラークイーン」が
大ヒットしたおかげで、当時は
自称本格ハードロックファンを
気取るアホ共から
オンナコドモの聴くバンドという
二重に蔑んだ言い方で、
こきおろされたクイーン。
これは日本においてのハナシ(苦笑)
しかしながら本国イギリスにも
そんなアホは評論家に多数いたとか。
エラソーに本格を気取るヤツらは
世界どこでも信用ならない、という証。
にもかかわらずフレディ・マーキュリーの
個性と類い稀な音楽性は、
最初から際立っていた。
僕はその生き証人の一人。
中1でクイーンに入れこんでいた僕は、
それを理由に友人から総スカンをくらい、
中2のときに名作クイーンIIのLPを
校庭で円盤投げにされ、
引き裂かれたジャケットは
翌日、各教室に貼り出される、という
画期的な憂き目を体験することに…
閑話休題、
この映画「ボヘミアンラプソディー」は、
そのフレディの個性と音楽性が
なんなのかを説明してはいないが、
洞察させるキッカケを作っているのでは?
・自身はバイセクシュアルであると
自覚したが、
奥さんから見ればゲイであること。
(この場合はホモという意味で)
・インド系の家系であること。
・つねに疎外感を持っていること。
・なにより自身にとって
マイナスのパワーを、
音楽としてプラスに転じる
志向性と教養があること。
そこにこの映画のポイントがある、と
僕はそう感じます。
惜しむらくは
フレディの書く歌詞の背後にある
膨大なボキャブラリーと世界観について、
触れられていなかったことぐらい。
ラストでは自然に涙していました。
作られた感動だという感覚はなく…
観て良かった。
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