音楽はその人自身か?

今日は問題をだします(笑)。

1.音楽は作り手の人間性そのもの?
2.それとも人間性にしばられないもの?
3.あるいはその間の領域のどこかに
   位置するもの?

この写真の人物の影は僕。
しかし撮影した自分だからこそ知るわけで、
見る側にとって確信は持てないはず。
影から僕だと立証することは無理でしょう。
このとき僕は朝日が昇ってくるのを
眺めていて、振りかえったらこの影が。
おもしろい!
朝日の光で影を撮ってみよう。
自分を表現したい、というより、
曙光のなかで影のカタチを捉えることに
しばし夢中になりました。
光、影、カタチ…自己表現とは違います。
そういう意図はありません。

この写真から僕の人間性を推し量るのは
かなり困難と言わざるを得ないでしょう。
しかし人はそこにイメージを持ちます。
「あ、これはKOWさんらしい」とか
「○xにソックリだね」とか
あるいは「ナルシストね」(笑)等、
撮影意図と全く関係ないことまで、
自由気儘に発想・連想します。

そういうものなのです。
これは音楽にもまったく
同じことが言えます。
意味性が無いものにすら、
人は何らかの意味を見出そうとするもの。
聴き手であれば自分だって例外ではない。
歌詞があるならあったで、
言葉の解釈・受け取りかたも多種多様。

話は少しズレます。
このブログでは僕が敬愛するハミル師を
7回に渡り取り上げてきました。
僕がハミル師に決定的な影響を受けたのは
10代の多感な時期においてであり、
その後はそうでもありません。
僕本人としては
具体的にハミル師に通じる作品は
一曲だけなのですが、
聴く人がどう感じるかは分かりません。
ただ僕はハミル師の音楽家・詩人しての
生き方にいつも確信と核心を感じ、
深く敬愛してきました。
ハミル師に抱いているイメージ。
おそらく師の音楽を聴くとき、
僕は自分の思いをどこかに
重ね合わせているはずです。

本当の意味で、
心の奥底に1本芯が通っている人物が、
この星の上にいると言う事。
これは自分が生きていく上でも
とてもとても心強いこと。
他人の意見に惑わされずに、
自分の信念を貫いていく人の存在
それは自分が生きていく上で、
大きな力になります。
何かを表現したいという欲求は、
止められるものではないし、
作りたいと言う気持ちは
決して抑えられるのではありません。
そしてそれを誰か聞いてほしいと言う
気持ちもまた。
しかしその瞬間から作ったものは
自分を離れそれを受け止めてくれる人の
ものになります。
だからこそ広がってゆく…
さまざまな思いを混ぜ合わせながら。

さて、閑話休題。
あなたの解答は?










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