考察・自分の好み(1)

人間として生きてきた時間が長いものになってきた。先日、自分の歳を久しぶりに会う自分より一回り若い友人に言ったらびっくりされた。「それは僕の父が亡くなった歳です」と。
それくらいの時間を生きてきたせいで、新しい音楽を聴いても、それが自分の好みかどうかすぐにわかる。
最初の音楽体験は、子守唄として両親がステレオでかけてくれた音楽だった。父はたいへんな音楽好きで、シャンソン、ラテン、タンゴ、映画音楽など音楽と名のつく物なら何でも聞いていた。母はいつでもクラシック専門。
毎晩のように幼い自分が眠りにつく時に流れていたシューベルトやシューマンの子守唄や賛美歌。メロディはすぐに思い出せないのに、自分の深層意識に焼き付けられた写真のように、今でもその時の光景をすぐに思い出すことができる。昨日のことのように。

先日、みやこうせいさんから頂いたロシアのLPを聴いていたら、知っているメロディがいくつかあった。とても懐かしく感じると同時に、このメロディはすでに自分の血肉に溶け込んでいる、と感じた。意識する意識しないにかかわらず、自分の記憶の古層にはこうした音楽があるんだな。
ロック好きになったのは小学5年の時のこと。最初はElvisそしてElton John 。中学生の頃はMoody Blues,YES,Pink Floyd,ELP,David Bowie,Lou Reedあたりを良く聴いていた。当時はアメリカの白人音楽にはぴんとこなかった。一方でソウルやファンクなどブラックミュージックは大好きだった。BePopDeluxとQueenをコピーしまくって、ギターの弾き方を覚えた。誰にも教わらなかったから独学。みんながすごいと言うアルバムの中で唯一好きになれなかったのは「クリムゾンキングの宮殿」。全くピンとこなかった(今も変わらず)。それでも高一の時にバンドメンバーが「21世紀の精神異常者」をやりたいと言うのでフルコピーした。「エクザイレス」も演奏したが演歌みたいな曲だなと思った。名曲といわれる「スターレス」も演歌…やはり好みって自分にもあるんだなと、どんな音楽でも好きな自分はこの時ようやくその事実に気づかされた。この意味においてKing Crimsonは僕にとってとても重要なバンド。
高校時代は僕が人生の中でプログレ狂いになった時期だった。最初はGenesisを聴いていたが、Van der Graaff GeneratorとGentle GiantとEnidとドイツロック全般には完全にのめりこんだ。フランスとイタリアのプログレも狂ったように聞いた。
他の音楽などどうでもよくなった。なぜそんなに極端だったのだろう?単に好みと言うことで片付けずに考えてみると、僕はまずメロディーの独特な音楽が好き。もう一つはリズムとハーモニーに工夫があるもの、そしてオーセンティックなものあるいはエキゾチックであることに惹かれていた。不穏な雰囲気を醸す音楽が好きな一方で、自分を別世界に誘う、突き抜けた何かをもたらしてくれるものを求めていた。ドラマ性が大事だった。ドラマの中で現実を忘れたかったのかもしれない。高校の頃の自分はどちらかと言うと暗かったと思う。人生の問題に悩んでいたし、音楽でなければ読書や哲学書に没頭していた。Peter GabrielやPeter Hammillの歌詞を訳して読んでいたのも、この頃のこと。
1983年、約1年間のイギリス滞在から帰国すると、僕のロックへの関心はすっかり薄らいでいた。僕がイギリスで見たライブでは大半のミュージシャンは演奏がヘタだった。そしてMTV時代の訪れとともにロックは産業化し、自分の好みとかけ離れていった。
なので、20代半ばからブラジル音楽やワールドミュージックに夢中になったのは、自然の成り行きと言えるかもしれない。もちろん自分の好みと重なる要素がたくさんあったことは事実で、よくよく考えてみれば、幼い頃や小学生の頃に父親から聴かせられた音楽によって、この好みの下地が作られていた。ロックなんて、もうどうでもよい、という心境だったが、聴けば聴くほどにブラジル音楽やワールドミュージックの中に、ロックの多大なる影響を見出すことになった。そしてその国や地域伝統の音楽とロックが重なり融合したものの方が自分にとっては進行形の音楽に感じられた。そうして僕はCaetanoに出会った(2に続く)。

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