ヴァンゲリス、星に赴く。

ヴァンゲリスが逝った。
俄には呑みこめない。
なぜなら彼の音楽は生まれたその時から
永遠の生命のように響いたから。
だからヴァンゲリスも
不死であるかのように思っていた。

今夜は自分の今のプロジェクトを中断して、
ヴァンゲリスを偲びたい。
最初に出会ったのは高1のとき。
ヴァンゲリス音楽に僕は一瞬で魅了された。
それは「エーゲ海」という曲だった。
その音楽を聴いていると、
大きなうねりを持った
大量の水と反射する光が見えた。
まさに音の映画。

最初に「天国と地獄」を聞いた時、
目の前に古代ギリシャが現れて驚いた。
それがあまりにも鮮明に映像的なので、
クリアな視界のなかに生き生きとあるので、
時空を超えているとしか思えなかった。

最初に「チャイナ」に針を下ろしたとき、
壮大な動く絵巻物が目の前に現れて、
一斉に動き始めたように見えた。
中国はヴァンゲリスにとって
異文化そのもののはずだけど、
音楽となればヴァンゲリスは、
1つの国の文化と自然を丸ごと表現できる。

後になってから手に入れた「アース」。
このアルバムにはびっくりした。
初期衝動のままの荒々しさ。
ヴァンゲリスのなかのマグマの、
圧力そのものを感じた。
この人が常人であるはずはない。
これだけのエネルギーがあれば、
何かを作り出さないわけにはいかない。
放出しないわけにはいかない。
恐るべきマグマを身の内に秘めながら、
ヴァンゲリスの音楽は難解ではなく、
親しみやすさを、
時に通俗性すらたたえている。
天高く駆け上がる高尚な知性と感情と、
すぐに口ずさめる馴染みやすさが、
1つの世界に調和する。
「野生の祭典」「イグナチオ」
「炎のランナー」「ブレードランナー」
「南極物語」「コロンブス」…
ヴァンゲリスの手がけた
映画のサウンドトラックもまた、
永遠の生命感を湛えている。
ヴァンゲリスの音楽とともに過ごした時間は
僕にとってすべてかけがえがない。
そのためかヴァンゲリスが時々、
僕のなかに住んでいるように感じられる。
僕は歌物の音楽を中心にやっているけど、
自分の中では歌のない音楽も動いている。

今、制作中の鎌田東二さんのアルバムでは、
自分の中に住んでいるヴァンゲリスが、
時々アレンジで「こうしてみたら?」と
アドバイスしてくれているように
感じることがある。
比喩ではなく本当である。

とても幸せなことだなあ、と改めて思う。

まだヴァンゲリスのアルバムで
聴いていないものがある。
今、その歓びを思う。
これから新発見していくことができるから。

ここ数年はヴァンゲリス初のピアノ集
「ノクターン」をよく聴いてきた。
ヴァンゲリスと言う音楽家の
瞑想的な一面が聴ける近年の傑作だと思う。
特に15曲目「ローンサム」は
何度聞いても飽きたらない
恐るべき深みと重力を持つ。

このアルバムが遺作となったようだ。

壮大な世界観に親しみやすい旋律。
惑星の中心に燃えるコア。
地球と地球人を、宇宙の視座から体感する。
ヴァンゲリスは人間と言うより
宇宙人というほうがしっくりくる。

地球仕様の身体を脱ぎ捨て、
どこの星に赴くのだろう。

そこからはどんな宇宙が見えるのだろう。


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