ロック再発見


これは自分が高一の時に横浜銀蝿の前座で
初めてロックをライブで演奏した時の写真。
12月からずっと続いている
「絶体絶命」制作作業が終盤を迎えて、
作ってきた各楽曲の音源を
ようやく通して聴けるようになってきた。

それらを聴いてみて思う事はただ1つ。
自分にとってロックとは
こういうものなんだ、と。
一種の自己確認行為のような気持ち。

自分のなかを覗き込むと、
予想以上にロックがたくさん入っていた。
今回、鎌田東二さんと言う
稀代のキャラクターと、
その楽曲を自由にできる立場を得て、
彼の世界観と個性を引き出そうとするとき、
自分の屋根裏部屋に放置されている
そんなロックの形式や部品の数々を
ありったけ使ってみたくなった。

プロデュース、アレンジ、
打ち込みによる制作作業、
レコーディングのすべてが、
ロックとしてこの音楽を
成立させる方向に動きだす。
そして自分がロックを再び見直すことに
つながっていく。

そう、これは僕にとって
まさにロック再発見の旅。
正直に言うと、80年代半ばに
ロックに興味を失って以来、
ロックをほとんど聞いていない。
あれほど夢中になった
プログレもごく一部を除き
売り払ってしまった。

1982年から83年にかけて
音楽漬けの1年間をロンドンで過ごし、
ロックのリスナーとしては
かなり満足したということもあった。
また、産業ロックと言われるようになった
その次の時代のロックに
物足りなさを覚えたことも大きかった。
社会と関わらないロックなんて
薄っぺらいものだと。

なので20代半ばからは、
ブラジルやアフリカや東ヨーロッパなどの
民族音楽に心を動かされてきた。
そういえば90年頃はワールドミュージックの
ライブばかり通っていたな。

また、演奏する側としては
思ったほどの成果をあげられずに、
自分の20代が不完全燃焼に終わったことも、
ロックに対する関心喪失と
結びついている。

僕が本当の意味で自分自身に根ざした音楽を
始めることができたのは30歳の時。
そのきっかけを作ってくれたのは
ネイティブアメリカンのズニ族の画家で、
自分はなんと借り物の音楽ばかりで
身を固めてきたものだろう、と
我が身を振り返ることにもなった。

ロックなど過去の音楽にすぎない…
自分でも極端すぎると思うが、
本当にそう思っていたのだから仕方がない。
そういえば僕がロックに夢中になりはじめた
1970年代初頭は
ロックには社会を変えられると言う意識が
漂っていた。
しかし、イギリスのロックバンド
ムーディー・ブルースは
74年の来日公演で「自分たちには社会は変えられない、ただのロックンロールシンガーにすぎない」と歌った。
中1でその来日公演を体験した僕は思った。
ロックと言う音楽にある、
驚くべき新鮮さや奇抜さは、
世の中との葛藤や闘いのなかで、
生み出され、磨かれてきたもの。
もしその闘いなくなってしまったら、
ただの音楽になってしまうんだ、と。

封建的権威的なものを打ち壊し、
社会の中に新しい価値観を送り出すこと。
様々な民族文化を取り込み、
いち早く未来を先取りすること。
各種電気楽器の登場と
革新されるレコーディングシステムにより、
それまで聞いたことのなかったリズム、
フレーズ、音色、コード、歌声、聞かせ方を
発明し続けた60年代〜70年代。
音楽に夢中な当時の若者にとって、
それはとてつもなく刺激に満ちた時代で、
月並みな言い方をすれば、
前途には夢と希望の世界が広がっていた。

それは当時の世界の写し鏡でもあった。
先進国と言われる国々では、
若い世代が変革と前進を求めれば、
社会を良い方向に向かわせるられると、
信じることができた。
人々の気持ちがポジティブな可能性に
満ちていた時代の音楽。
ロックとはそんな時代の
文化的落とし子である。
そろそろ話をまとめよう。

鎌田さんは制作の始まりの打ち合わせで、
ロックぽくしたいと言う言葉を
何度か口にした。
2018年?あたりまでの10年間にわたり、
「タイMan歌合わせ」と名付けられた
弾き語り対決を、鎌田さんとしてきた僕は、
つまり闘いをしてきた僕は、
鎌田さんの楽曲の中に、
スピリットとしてロックに通じるものを
感じていた。
だからこのアルバムが
ロックの手法をフルに取り入れたものに
なったのは必然の成り行きといえる。

世直し思想の実践者でもある鎌田さんが、
今の世の中にとてつもない絶望感を感じ、
その一つ一つを言葉にした楽曲たち。
それらを聞き、鎌田さんと語らいながら、
僕はぽろっと「絶体絶命」という言葉を
口にした。
すると鎌田さんは言った。
「それをタイトルにしよう」と。

今回の作品が、
絶対絶命のロックアルバムとして
制作されているのには
このような背景がある。

希望ではなく絶望まみれのロックアルバム。
それがこの「絶体絶命」なのだ。

僕の中で意味を持ってロックが蘇った。
僕の中で再びロックが息を吹き返す。
とは言え、人間は暗闇の中でも
希望を捨てられない生き物である。
希望を捨てることは死に近づくこと。
若干の希望を絶体絶命の中に忍ばせている。

先日、一曲だけ、ある方に参加要請をし、
「ベースと歌でお願いします」と
電話で直談判したところ快諾をいただいた。
この方と鎌田さんは長いことつながり、
ときに活動をともにしてきた
日本の音楽のレジェンドである。

今回「銀銀河鉄道の夜」と言う
鎌田さんの古い楽曲をセルフカバーした。
プロデューサーの僕にとっては、
これはその方が入ることによって
本当の意味での完成となる。

そこには2人の友愛がある。

絶体絶命におかれた人類のなかで、
それはひとつの希望に違いない。

7月17日のリリースに向け、
既に最終段階に突入した。

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